支援員という名の「低賃金」な日々
施設長からの熱烈なスカウトを受け、僕は「職業指導員」として働き始めました。
しかし、初めてのお給料袋を手にしたとき、僕は思わず心の中で叫びました。
「……こんなんだったら、誘わないでほしかった(笑)」
提示された条件は、最低賃金ギリギリのフルタイム・パート。
昨日まで利用者だった僕に、職員としての重い責任と業務が山のように押し寄せます。パソコンを教え、履歴書を添削し、企業と交渉する。仕事自体はやりがいがありましたが、感情的でドロドロした人間関係や、労基法を無視した現場の空気に、僕は次第に「もう限界だ」と感じるようになっていました。
辞める口実だったはずの「レポート」
僕は働き始めて2年目、通信制の専門学校に申し込みました。
狙いは、精神保健福祉士(PSW)の受験資格です。正直に言えば、「勉強が忙しいから辞めます」という、角の立たない退職理由を作りたかったという下心もありました。実家暮らしだった僕には、無理をしてまでこの現場にしがみつく理由はなかったはずなのです。
ところが、いざレポートを書き始めてみると、設計職で鍛えた僕の集中力では、土日の休みだけで十分に間に合ってしまった。「……あれ、辞める理由がなくなっちゃったぞ」
不器用な僕は、結局、平日はドロドロした職場で最低賃金に耐え、土日はレポートと格闘する、逃げ場のない4年間を過ごすことになりました。
運命を変えた、彼女の「ダッシュ」と「お父さん」
そんな僕を繋ぎ止めていた唯一の理由は、同じ統合失調症を抱える彼女とのデート代を稼ぐこと。
ある日の日曜日、僕は彼女の実家のソファで、お父様がキッチンでトントンと小気味よく料理を作る音を聞きながら、彼女にポツリと漏らしました。
「……お父さんのところで、いつか働けたらいいな」
今の職場への愚痴混じりの、軽い独り言のつもりでした。
ところが、その瞬間。彼女はバッと立ち上がり、調理中のお父様のもとへ猛ダッシュしたのです。
「お父さん! ぴゆさんが、お父さんのところで働きたいんだって!」
「ぜひお願いします」という、悲しき習性
お父様は包丁を置き、眼鏡を直して僕をじっと見つめました。
彼女のお父様は、社会福祉法人の理事長。知的障害者施設を運営する、いわばその道のプロフェッショナルです。
「えっ、ぴゆさん、うちで働きたいの? ちょうど明後日、面接する人がいるんだ。ぴゆさんも来るか?」
頭の中が真っ白になりました。「いや、今はまだレポートが……」「心の準備が……」と言いたい。でも、長年の過酷な労働環境で染み付いた「反射的な肯定」が、勝手に口を動かしました。
「……はい、ぜひ、お願いします!」
こうして、僕の「辞める口実探し」の日々は終わり、彼女と一緒に新しい街へと引っ越すことが決まりました。
それは、愛する彼女との「ふたり暮らし」という夢が叶う瞬間であると同時に、僕の体が80kgから50kgへ削げ落ちていく「激闘の時代」への、片道切符を手にした瞬間でもあったのです。

コメント