3月、誕生日。ついに入籍のゴールテープを切る
右腕に走る電撃のような激痛。痛み止めを飲みながら、14時間労働でシニア4人の面倒を見続けた日々。すべては、この日のためにありました。
3月。彼女の誕生日。
僕たちは、役所に婚姻届を提出しました。
55kgの激痩せから、ストレスによる80kgへのリバウンド。本当は「精神保健福祉士に合格して、胸を張って入籍したい」という理想もありましたが、現実はそんなに甘くありませんでした。資格という武器は持てなかったけれど、僕は「彼女との生活」という土台だけは、ボロボロの身体で死守しました。
婚姻届を出した帰り道、春の柔らかな風を感じながら、僕は自分の心に静かに告げました。
「……よし、これで僕の任務(ミッション)は完了だ」
目標を達成した瞬間、それまで自分を支えていた「張り詰めた糸」が、ふっと緩んでいくのを感じました。
「2万円アップ」の評価と、共倒れ寸前の上司
入籍を報告した直後、会社側も僕の実績を評価してくれました。
「ぴゆさん、よくやってくれている。給料を2万円上げよう」
ありがたいお話ではありましたが、シニア4人を育て上げ、自分のノルマもサービス残業で埋めていた僕にとって、その2万円は、失った健康を取り戻すには少し心細い数字に思えました。
現場の状況も、限界に達していました。
ある日、僕よりもさらに顔色が悪く、やつれた上司が僕のデスクにやってきました。
「社長からさ、俺の残業代が45時間を超えそうだから抑えろって言われちゃって……。悪いんだけど、俺の分の図面もぴゆさんがやってくれないかな?」
上司も決して悪い人ではありません。彼自身も月100時間は残業し、死にそうな顔でモニターを見つめていました。でも、自分の保身のために、ヘルニアで腕が震えている僕にさらなる重荷を預けざるを得ない組織の形。「みんなが必死すぎて、もう誰も助け合えないんだな」
その瞬間、僕の中で決意が固まりました。
「あぁ、もうこの場所での僕の役目は、終わったんだな」
「病気を治してから」という、不思議な引き止め
僕はすぐに、辞める意思を伝えました。入籍という人生最大の目標を達成し、僕がこの場所に留まる理由は、もうどこにも残っていませんでした。
すると、あんなに無理を強いていた会社側が、急に心配そうな顔をしてこう言ったのです。
「統合失調症をしっかり治してから辞めればいいじゃないか。今はまだその時じゃない。休職してもいいんだぞ」
その言葉に悪気はなかったのかもしれません。でも、僕の身体を壊したのは、この場所での働き方そのものでした。首のヘルニアも、心の疲弊も、すべては無理を重ねた結果。それを「病気のせい」にして引き止められることに、僕は違和感を拭えませんでした。
6月まで、丁寧に「幕を引く」準備
ただ、僕は感情に任せてすぐに去るようなことはしませんでした。40代の大人として、そして家族を支える身として、落ち着いて「次」の準備を整えることにしました。
お祝い金をいただき、6月のボーナスをきっちり受け取る。さらに、6月の健康診断まで受診して、自分の身体の状態を確かめてから去る。それは、これまで命を削って働いてきた自分への、せめてもの区切りだと思いました。
「あと3ヶ月。6月までは、これからの僕たちの生活のために、しっかり準備を整えよう」
かつては流されるままに働いていた僕が、最後は自分の人生の手綱を、自分で握り直していました。
2026年、今の僕が思う「引き際の正義」
47歳になった今の僕は、リモートワークの事務職として、自分の健康と家族との時間を大切にしながら働いています。
あの時、もし「資格がないから」と入籍を先延ばしにしたり、会社に言われるがまま残っていたら、今の穏やかな日々はなかったでしょう。
自分と愛する人を守るために「立ち止まる」ことは、何よりも勇気のいる、前向きな選択です。
「用は済んだ」という言葉は、僕にとって冷たい拒絶ではなく、新しい人生への「出発の合図」だったのです。

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