【連載第3回】半年間の寝たきり、そして「いやいや」受けた支援員の椅子。

カーテンを閉め切った半年間

高校事務を1ヶ月で辞め、僕は深い闇の中にいました。
「1年かけて訓練し、満を持して就職したのに、たった1ヶ月で逃げ出した」
その事実が、鉛のように心にのしかかりました。設計職で200時間働いて壊れた時とは違う、情けなさと虚無感。

そこから半年間、僕は実家の部屋で寝たきりになりました。
カーテンを閉め切り、食事の味もせず、ただ天井の木目を数えるだけの日々。
「自分はもう、社会の歯車にすらなれない。誰の役にも立てない」
そう自分に呪いをかけながら、時間が過ぎるのをただ待っていました。

「無職じゃ、彼女とデートもできない」

そんな僕を暗闇から引っ張り出したのは、高尚な理念ではなく、あまりにも人間らしい動機でした。

当時、僕には気になる女性がいました。地活(地域活動支援センター)で少し顔見知りだった、同じ統合失調症を抱える彼女です。
彼女もまた、就職しては1ヶ月で辞めてしまうという、僕と同じ「働くことの難しさ」に直面していました。

「彼女と飲みに行きたい。就職祝いをしたい。……でも、今の僕には一円の稼ぎもない」
「無職のままじゃ、格好が悪すぎてデートにも誘えない」

「誰かのために」という想いは、時に自分自身のために頑張るよりも、強いエンジンになります。僕は重い体を起こし、以前とは別の就労移行支援事業所の門を叩くことに決めたのです。

「いやだなー」から始まった、まさかのスカウト

再スタートを切った事業所でのリハビリ。
僕の目標は「工場のライン工」でした。余計な人間関係に惑わされず、淡々と手を動かす仕事なら、今度こそ長く続けられるかもしれない。
実習先として選んだ工場でも手応えを感じ、いよいよ採用面接……というタイミングで、施設長に呼び出されました。

「ぴゆさん。工場の面接もいいけれど、うちの職員として働いてみないか?」

正直な感想は、「いやだなー……」でした。
つい数日前まで、自分自身が支援を受ける側の利用者だった人間です。
「教えるなんて、そんな責任の重い仕事、僕にできるわけがない」
「もっと楽な、自分一人の責任で済む仕事がしたい」

でも、施設長は僕の「失敗の多さ」を評価してくれました。
「君の痛みを知る心と、設計職で培ったITスキルがあれば、最高の指導員になれる」

結局、僕はその誘いを受けることにしました。
理由はただ一つ。「彼女とデートをするための、軍資金が必要だったから」です。

「利用者」から「先生」へ

こうして僕は、昨日まで一緒に訓練を受けていた仲間たちの「先生」になりました。
最初は気まずくて、申し訳なくて、逃げ出したい毎日でした。
でも、パソコンの操作を教えたり、履歴書の添削をしたりする中で、不思議な感覚が芽生えました。

「あぁ、僕が月200時間残業して身につけたスキルが、ここでは誰かの希望になっている」
「僕が1ヶ月で高校事務を辞めたあの絶望が、同じ悩みを持つ利用者さんの救いになっている」

いやいや引き受けたはずの「職業指導員」という仕事。
でも、そこには僕がずっと探し求めていた、「ちょうどいい必要とされ方」がありました。

2026年、今の僕が思う「不純な動機の力」

今の僕は、リモートワークを活用した事務職として働いています。
あの時、もし「完璧な自分」になってから働こうとしていたら、僕は今もあの暗い部屋にいたかもしれません。

「デート代がほしい」「格好をつけたい」
そんな不純とも言える動機が、僕を社会に繋ぎ止めてくれました。
そして、その「踏みとどまった4年間」が、僕に精神保健福祉士(PSW)という一生モノの武器を授けてくれることになります。

次回、僕は「支援員」として働きながら、通信制の専門学校へと足を踏み入れます。
そこで待っていたのは、低賃金と、ドロドロした「福祉の現場」のリアルでした。

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