40代、淡々と始まった「ふたり暮らし」
「反射的に受けてしまった」あの面接から数ヶ月。僕は実家を出て、彼女と一緒に郊外の新しい街へと引っ越しました。
小さなアパートでの二人暮らし。40代にして、朝起きたら隣に誰かがいるという新生活。これまでの「暗黒の設計職時代」の記憶が、なんとなく幸せな色に塗り替えられていく……ような気がしていました。
新しい職場は、彼女のお父さんが理事長を務める施設。僕は一人の「フルタイム・パート」として現場に入りました。4年間の支援員経験と、設計職仕込みのロジカルな動き。「丁寧で速い」と利用者さんには大好評で、自分でも「お、僕、仕事できるかも」と手応えを感じていました。この頃の僕は、まだ85kgの「ヘビー級」。30代で買った大切なVansonのレザーも、「もう前が閉まらないし、一生着ることはないな」とクローゼットの肥やしにしていた時期でした。
「丁寧」すぎて浮いちゃった? 現場との温度差
ところが、運命の歯車が狂い始めたのは2月のことでした。仕事と並行して死に物狂いで勉強した、精神保健福祉士(PSW)の国家試験。結果は、不合格。
「40代にもなって、格好いいところを見せられなかったな」
そんな思いが頭をよぎりましたが、それ以上に現場での「違和感」が面白いくらい形になってきました。良かれと思って「こうすれば利用者さんも快適だし、効率もいいですよ!」と動けば動くほど、ベテラン職員さんたちの間に、絶妙な「……えっ?」という空気が流れます。
設計職出身の僕からすれば「最短ルート」のつもりでも、福祉の現場には、もっとこう、ふわっとした独自のルールや伝統がある。
「丁寧で速い」はずの僕は、いつしか現場では完全に「浮いた存在」になっていました。かつて見てきた組織の理論とはまた違う、福祉現場特有の「不思議な慣習」を目の当たりにして、どこか冷めた面白さを感じている自分もいました。
井上尚弥も驚く、30キロの消失
家に帰れば、彼女に「今日こんなことがあったよ。なんか僕だけ動きが速いみたい」と軽く笑い話にする。彼女は「大変だねぇ」と笑って聞いてくれる。そんな時間に救われながらも、お父さんの顔を立てたいという義理もあり、現場のやり方に強く異を唱える気にもなれませんでした。
その「合わないなー」という地味なストレスが、じわじわと僕の食欲を削り、試験に落ちてからのわずか半年間で、僕の肉体は85kgから55kgへと、30キロも削げ落ちていきました。
それはまさに、ボクシングの井上尚弥選手が世界の頂点を極めている「スーパーバンタム級」へと、一気に落とし込んだような過酷な減量でした。でも、そんなスカスカになった40代の僕に、一つだけラッキーなことが起きました。
ふと、クローゼットの奥からあのVansonのレザーを引っ張り出して羽織ってみたのです。
「……あ、これ、今が一番ジャストサイズ」
30代で買ったばかりの頃のように、スッと袖が通る。ファスナーもスルスル上がる。
皮肉なものです。心身を削って手に入れた「55kg」の僕に、諦めていたお気に入りの鎧が、今、完璧にフィットしている。鏡の中の自分を見て、「お、また着られるようになった。痩せてよかったな」とニヤリとしたあの瞬間は、このジャケットがくれた小さな「ご褒美」でした。
潔い決断、そして次へ
「大丈夫? 痩せすぎだよ」
心配そうに覗き込む彼女に支えられながらも、僕は決断しました。お父さん(理事長)には直接相談せず、静かに身を引くことにしました。期待に応えられなかった申し訳なさはありましたが、それ以上に「自分のスタイルが合わない場所で、愛する家族に心配をかけてまで頑張る必要はないな」と、どこか吹っ切れたような気持ちでした。
結局、僕は入職からわずか1年で、退職届を出しました。せっかく繋いでもらった縁を断つ罪悪感はありましたが、足取りは意外と軽かった。
スーパーバンタム級のスカスカな体を引きずりながら、僕は次に進むべき道を探していました。それが、皮肉にもかつてのトラウマであった「設計職」への帰還になろうとは、この時の僕はまだ、笑い飛ばす余裕もありませんでしたが。

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